0から始める著作権

  このブログでは著作権について解説していきます。

超「商品流通社会」と、著作権(3)

前回は、仮想空間の未来形には無限の可能性がある、その仮想空間を構成するものが「著作物」である、という話をしました。

今まで以上に「著作物」がクローズアップされる社会、仮想空間が商空間になる社会、その入り口に私たちは立っているのです。

数年後にはメタバースや3DWebは当たり前の社会になっていると思われます。今はその前哨戦の最中にある、という段階です。

 

前哨戦、というと、1980年代のインターネット前夜が思い出されます。

インターネットが当たり前になる前の1980年代に、インターネットの先駆けとなるサービスが実践されていました。カナダのテリドン(Telidon)や、日本のキャプテンシステムです。

Wikipediaでは、キャプテンシステムについて、このシステムは電話回線を介して情報センターと端末を結び、利用者の要求に応じて情報を呼び出せることが主な特徴であり、1980年代当時の日本ではニューメディアの代表格として扱われていた。・・・当時「高度情報通信社会」と呼ばれていた時代は、インターネットによって20年以上遅れて実現した」と説明されています。

1990年代後半からインターネットが普及して、キャプテンシステムは衰退しましたが、このシステムが目指した文字情報や図形情報の双方向交換は、今ではスマホのLINEアプリで誰もが当たり前に行っています。

文字情報や図形情報を双方向で交換するというアイデアに、技術が追いついた、という図式です。

 

メタバースや3DWebはどうでしょうか・・・

Call of Duty シリーズや、FORTNITEなどのオンライン対戦ゲーム(仮想空間におけるマルチプレーヤーによるリアルタイム対戦のゲーム)を見ていると、技術的には相当なレベルに達成していると私は見ています。

フォトリアリスティックなCG描写、リアルタイムレンダリングが可能なグラフィックエンジンなどによって、実物と見間違えるほどの仮想商品が仮想空間内に存在し、その完璧な仮想商品の姿を見ても、私たちは驚かなくなっています。そう、もう技術的にはメタバースや3DWebは可能なのです

では、メタバースや3DWebが本格的に花開かないのはどうしてなのでしょうか。勿論、コストパフォーマンスの問題はあるでしょう。でも、それが真の理由でしょうか。

 

何が障害なのか。メタバースや3DWebが開花しない原因は何であるのか。言い方を変えると、メタバースや3DWebを開花させない旧い仕組みは何であるのか・・・

それは、メタバースや3DWebの中に存在する著作物の取り扱いの問題がクリアになっていないからです。

著作権の仕組みが旧態依然としており、この(輝かしい)メタバースや3DWebの普及に歯止めがかかっているのです。

しかも、その歯止め自体がハッキリしたかたちで表れていない。旧い著作権システムのベールに隠されてしまっているのです。

このような状況に、創作者(クリエイター)は声を上げていかなければなりません。

 

今までは、リアルな世界で創作者は小説を書き、音楽を作曲してきました。そして、小説は書籍として、音楽はレコードしてリアル世界で流通していました。リアルな世界では、書籍の出版社や、レコード製作会社が、著作物(リアルな書籍やレコード)を流通させる主として君臨してきました。

これからは違います。

メタバースや3DWebの中で、作家や作曲家自身が、小説や音楽を流通させる主となります。リアルな書籍やレコードとしてではなく、メタバースや3DWebの中で、小説や音楽自体が存在しているからです。本物の小説や音楽がメタバースや3DWebの中に存在しているのです。この小説や音楽が著作物であることは、これまでのブログで述べてきました。

そして、仮想商品を生み出すクリエイターが、仮想商品を流通させる主となります。なぜならば、クリエイターは、仮想商品という著作物を生み出す著作者であるからです。

これらの著作物の取り扱いが明確になれば、わかりやすくなれば、メタバースや3DWebの世界の扉は一気に開かれます!

 

メタバースや3DWebのような仮想空間の中には、小説、音楽、仮想商品などが浮かんでおり、これらは、デジタルとして、曖昧ではないかたちで存在しています。

 

仮想空間の中に浮かんでいる小説、音楽、仮想商品は、それ自体が著作物であり、この著作物の取り扱いを明確にすることが急務ですが、現状では、その取り扱いについて積極的に前面に押し出すアプローチがとられていません。具体的には、どのようなアプローチが必要なのか。

例えば、仮想空間の中で、各自が小説、音楽、仮想商品を創作した日付を明確にしておく。なぜならば、著作権は、創作した時点で発生するからです。また、その著作物を他者が利用できるかどうかは著作者自身が決めることができて、他者は勝手にそれらの著作物を利用することはできません。このことは、これまでのブログで解説してきました。著作者自らが、他者にどのように利用してもらうかの情報を決めてそれを表示する。すなわち、小説、音楽、仮想商品の利用可能性や対価についての情報を表示する。このような情報表示技術は既に確立しています。IT技術として容易に実現できる筈です。

メタバースや3DWebのような仮想空間において、上記のような著作権の取り扱いの仕組みを構築すればよいのです。

 

こうして見ていくと、仮想空間においては、リアルな世界におけるよりも、より明確に著作物が「真」なるものとして存在しており、著作物を生み出す著作者の立場が極めて大きくなっているということができます。

つまり、簡単に言えば、仮想世界の方が、リアルな世界よりも、著作物が目立ってくる、著作権が前面に出てくるのです。

今こそ、仮想世界における著作権のあり方を真剣に考えていかなければなりません。これこそが仮想空間を構築する上での最重要課題なのです。

新しい技術に、旧い著作権システムが追いつく、という図式、これがまさに今求められているのです。

 

新しい扉が開かれようとしています。

もし貴方がクリエイターなら、あるいはクリエイターを応援する立場なら、著作権について、新しい著作権システムのあり方について、見識を持つべきです。そして、その扉を開ける側、新しい仮想世界をかたち作る側に立つべきです。

次回もまた、仮想空間内の「著作物」について考えていきましょう。

 

超「商品流通社会」と、著作権(2)

前回は、メタバースという仮想空間内の商品を例にあげて、仮想空間内の商品(架空の商品、著作物)を選択するのは、現実世界における自分が優越感、満足感、幸福感を得るためであって、仮想空間内のアバター(自分の分身)が満足するためではないという話をしました。

仮想の商品であるヘアードライヤーによってアバター自体が気持ちよくなることはないからです。

 

アバター自体は満足しないが、アバターを操作する自分は、仮想世界の中でアバターの活動を通じて満足する。仮想空間内の商品や建築物、更には環境を独自に構築していく中で、思い入れのある仮想商品、仮想建築物、仮想環境を選んでいく。そのようにして、自分の価値観を仮想空間内で具体的に実現させていく。

このような活動は、自分が好きな芸能人やキャラクターなどをグッツを買ったり作ったりすることで応援する「推し活」に似ています。仮想空間内で仮想商品を選ぶ、というよりも「理想の仮想環境をかたち作る」という感覚です。

 

その理想の仮想環境の元になるのは、仮想のモノ、架空のモノですので、仮想空間内の「著作物」として考えられます。勿論、自分で独自に作って自分で使用してもよいのですが、作ったモノに対して他の人が使用したいと思った時に交換価値が発生します。すなわち、仮想空間内の「著作物」は、売買の対象になり、仮想の商品になります。自分で独自に作るよりも、プロに作ってもらって購入する。そして、オーダーメードで作ってもらうよりも用意された既製品を購入するようになる。まるで洋服を買うように仮想の商品を購入していくことになります。

一つ一つの仮想のモノが仮想商品になることもあるでしょうし、複数の仮想商品によって構成された仮想建築物やそれを取り巻く仮想環境全体が商品となることもあるでしょう。家具付きの分譲マンションや、庭付きの一戸建てを購入するように、仮想空間内でも、トータルな仮想建築物や仮想環境をユーザーが購入する。そのような大規模な仮想環境をユーザーに購入してもらう、というビジネスが今後成立するかもしれません。

 

メタバースの将来イメージや、その可能性については別の機会に大いに語るとして、現時点において、仮想空間内で仮想商品や仮想環境をユーザーが自由に選択しているわかりやすい例を紹介します。仮想空間内で複数の兵士が登場するオンライン対戦ゲームです。ゲーマー(リアル世界でゲームを楽しむ人)が、対戦場となる好みのマップを選んだり、対戦に用いる好みの武器を選んでゲームを楽しんでいます。ゲーム内の仮想通貨によって購入することもあれば、リアル世界のお金で購入することもあります。Call of Duty シリーズや、Fortniteなどでは、武器に色を付けたり、兵士のコスチュームを派手にすることがゲーマーの価値観の反映になっており、そのような武器や兵士が仮想空間内で目立つことによって、仮想環境自体が豊かになり、ひいては新規ゲーマーの呼び水になっています。

 

メタバースなどの仮想環境の未来や可能性に否定的な方は、所詮ゲームの世界だけであろうとお考えになっているのかもしせません・・・

でも、冷静に考えてみれば、いま当たり前になったパソコンのデスクトップ環境は、リアルな世界の机の上で行っていたことを仮想空間で実現したものです。会計帳簿は表計算ソフトになり、原稿用紙はワープロソフトになりました。例えば、Microsoft Officeでは、Officeテーマを選択することによって、Wordソフトの作業環境を好きな色に構築できたります。このようなアレンジもユーザーの価値観の反映と言えますし、今後はビジネスソフトやビジネス仮想空間も大きく変革していくでしょう。職場のデスクブースが職員の好みで様々に彩られているように、ビジネス仮想空間も職員の好みの仮想商品で満ち溢れるようになるでしょう。

 

このように、仮想空間の未来形には無限の可能性があります。そして、仮想空間内で流通するのが仮想商品であり、その元になっているのが仮想空間内の「著作物」なのです。

次回もまた、仮想空間内の「著作物」について考えていきましょう。

 

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超「商品流通社会」と、著作権(1)

前回まで、「情報の大航海時代」における著作権の問題について述べてきました。15世紀から17世紀までの大航海時代が世界史を一変させたように、現在発展途上にあるインターネット世界やメタバース空間は著作物の創作や流通の環境を大きく変えていく、そして、著作権の問題は今まで以上に重要かつ必要なものとなり、2次創作の取り扱いや創作者の地位向上に向けての取り組みが急務であるという話をしました。

 

この変化は、従来の社会、例えば商品流通を主体とする資本主義社会を進展させるものなのでしょうか。すなわち、今までの延長線上の出来事と考えてよいのでしょうか。

 

私はそうではないと考えています。

その私の考えをこれから皆さんにお伝えするに当たって、本来であればファクト(数字、データ、既存の研究)に基づいてロジカルに論証をすべきところですが、この場は学会でもビジネスの場でもないので、自由に己の考えを述べていきたいと思います。皆さんの中には、私の考えが科学的帰納法に則っていないとか、直観的すぎて独善的解釈に陥っているという批判的意見を持つ方も多々おられるかもしれませんが、一つの見方としてそういう考えもあるのかな、と温かく包み込んでいただければありがたいです(勿論、批判や反論はウェルカムです)。

 

さて、最初の話として、いま世間で賑わっているメタバースの話をしたいと思います。

メタバースについて、Wikipediaでは「将来インターネット環境が到達するであろう概念で、利用者はオンライン上に構築された3次元コンピュータグラフィックスの仮想空間に世界中から思い思いのアバターと呼ばれる自分の分身で参加し、相互に意思疎通しながら買い物や商品の制作・販売といった経済活動を行なったり、そこをもう1つの「現実」として新たな生活を送ったりすることが想定されている」と説明されています。

ここで大きな疑問が一つあります。私たちが(リアルな)商品を購入する場合、その殆どは使用価値を有しています。例えば、ヘアードライヤーであれば自分の髪を乾かすことが使用の目的であり、体重計であれば自分の体重を量ることが使用の目的となっています。

自分の分身であるアバターが仮想空間上にいるとして、そのアバター自体は髪を乾かしたいと思うでしょうか、体重を量りたいと思うでしょうか。

 

リアルな空間で生きている自分が、仮想空間内でもアバターとして存在しているので、リアルな空間でそうしているのと同様に、アバターにヘアードライヤーをあてがったり、体重計の上に載せようようと思うことはあるのかもしれません。しかし、それはナンセンスなことだと直ぐに気づくでしょう。何故ならアバターの髪は実際には濡れておらず、アバター自体は体重を気にしたりしないからです。CGでそのように見せることは可能です。アバターの髪が濡れたように見せることや、アバターが体重過多を気にする仕草をすることも、現在のCG技術によって容易に表現することはできます。でもそれも見せかけであって、アバター自体は髪が乾いてさっぱりしたり、平均体重を維持していて気分が優れる、ということはありません(そのように演じさせることはCGによって可能ではありますが・・)。

このように、メタバースという仮想空間内の商品は、リアルな空間(現実世界)の商品が当然のことながら有している使用価値がないのです。

でも仮想空間内のモノは取引の対象になっています。すなわち、交換されています。交換価値はあるのです。これは一体どういうことなのでしょうか。

例えば、現実世界にはまだ存在していないユニークな形をしたヘアードライヤーが仮想空間内において商品として存在しているとします。このユニークなヘアードライヤーを仮想空間内で購入して自分の分身であるアバターに使わせてみる。そしてアバターが特異な体験をしていることについて、それを見ている現実世界の自分は、優越感や満足感を得ることになる。アバターがユニークなヘアードライヤーを使っているのは仮想空間内においてですが、現実世界の自分はそれを見ることによって幸せになれる、・・・まるで、楽しそうに玩具で遊んでいる子供を見る親のように、楽しそうに玩具に戯れるペットを見る飼い主のように。

 

そうすると、詰まるところは、現実世界における自分が優越感、満足感、幸福感を得るために、仮想空間内の商品を選択していることになります。現実世界では使わないのにその商品を選びたいと思う。あるいは、現実世界では(物理的に)あり得ない形をしていて、全く使い物にならないような商品でも選んでみたいと思う・・・ これは一体何を意味するのでしょうか。

自分の分身であるアバターのために商品を選んでいる、というよりも、今まで見たこともないような商品の新しさに魅かれたり、(現実世界では成り立たないが)独特の世界観を醸し出している商品のオリジナリティーに魅かれて、商品を選んでいるのではないでしょうか。

 

この仮想空間内の商品は、現実世界のリアルな商品ではなく、仮想空間内の架空の商品ですので、とりあえず「著作物」として考えることとします。この著作物としての仮想商品はどのような特徴を持つのでしょうか。私たちにとってどのような意味を持つのでしょうか。

次回以降、この点を考えていきます。そして、やがて大きな視座に到達したいと考えています。

 

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「情報の大航海時代」と著作権(9)

前回、メタバース空間などに存在する著作物に焦点を合わせると、著作権情報がポップアップで表示されて、その著作物を利用して二次創作をした瞬間に著作権者に何らかの報酬が与えられる仕組みの可能性の話をしました。

ここで重要になってくるのは、その著作物について二次創作が許されているかどうか、すなわち、著作権者が二次的著作物を創作する権利を他人に認めているかどうか、ということです。それが認められていないならば、そもそも二次創作を行うことはできないからです。

ですので、ポップアップ表示される著作権情報には、二次創作が許されているか、許されているならば著作物の利用料はどれくらいか、という情報も盛り込む必要があります。

 

著作物がデジタル社会・ネットワーク社会で流通し、誰もがデジタル情報としての著作物を鑑賞できるようになり、その範囲と量は今後ますます大きくなり、著作物の鑑賞にとどまらず、著作物の利用(二次創作)もどんどん盛んになっていくことが予想されます。誰かの著作物を利用して自分が著作物を創作して、その著作物が更に他人が利用する、・・・それが日常的に行われる世界が今目の前に来ています。

しかし、デジタル情報としての著作物についての著作権情報がハッキリとしていない、可視化されていないことが様々な不秩序の原因となっており、仮に著作権法違反になっていたとしても、何がどのように違反しているのかも不明なままであるので、結果として様々な抜け道が生じているのが現状です。

 

特に喫緊の課題は、何度も述べてきているように、漫画やアニメのパロディ作品や、楽曲のアレンジ曲を堂々と行えるような仕組みの構築です。

著作者がマークによって作品使用の条件を示すクリエイティブ・コモンズの例を以前に紹介しました。今後は、更に進めて、著作物の有償提供や、著作物の利用料についての情報を提供することが求められます。I T技術によって、これらの情報を可視化してわかりやすく伝えるシステムやサービスを開発しなければいけません。

また、音楽著作権を管理しているJASRACが、著作権者に代わって著作権使用料の徴収を行なっていることを以前に紹介しました。今後は、更に進めて、楽曲をアレンジすること(二次的著作物を創作すること)を著作権者に認めてもらう仕組みを構築することが求められます。I T技術によって、その仕組みを効率よく実現するシステムやサービスを開発しなければいけません。

 

前回までに、ソフトウェアにおけるオープンソースの推進や、学術論文や特許文献における創作の連鎖の例も取り上げました。

創作者自身がソフトウェアやサービスの開発環境において今まで以上に恩恵を受けることは必要ですし、創作の連鎖をパロディ作品やアレンジ作品の二次創作においても実現していくことが求められています。そして、それらを実現可能にするのは、ますます高度化するデジタル社会・ネットワーク社会であり、I T技術の進歩がその中核を担うこととなります。

 

 

さて、I T技術の進歩だけで、創作者にとっての理想的な社会が実現するでしょうか。著作権の情報が可視化され、二次創作の仕組みが構築されて、ひいては創作者の地位が向上する理想的な社会・・・

I T技術の進歩だけではその実現は無理です。創作者自身が著作権や、著作権を含む知的財産権についての理解を深めて、知的財産権が今後の社会においてどのような位置付けになっていくかの視座を身に付けなければなりません。生成AIにこれらを丸投げする訳にはいかないのです。

 

このように、「情報の大航海時代」においては、著作権の問題は今まで以上に重要かつ必要なものとなってきます。

著作権や、著作権を含む知的財産権についての理解や視座を、創作者自身が身に付けることが大切なのです。

 

今回まで、「情報の大航海時代」における著作権の問題について述べてきました。

次回からは、著作権を含む知的財産権が今後の社会においてどのような位置付けになっていくかの視座について、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

 

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「情報の大航海時代」と著作権(8)

前回は、研究者が書く論文において、先人の知の系譜を参考文献として掲載する例を紹介しました。良い論文であれば、追従する多くの研究者たちによってそれが参照され、彼らが書く論文の中でそれが参考文献として掲載されることになります。つまり、後続する論文において、参考文献として多く取り上げられると、影響力のある良い論文だと認められるのです。

このような例は他にあるでしょうか。

 

技術者が書く特許文献の例があります。特許権は技術発明を独占できる権利であり、特許権の内容は特許文献に書かれています。その特許文献には先行技術文献が掲載されており、そこに過去の特許文献が含まれている場合が多いです。

新しい発明をするに当たって、前提となった過去の発明、参考になった過去の発明が紹介されているのです。すなわち、過去の発明、以前の発明者をリスペクトしつつ、自分の発明のどこが新しいかを説明するために、進んで過去の発明を紹介しているのです。

 

特許文献を読む第三者にとっても、特許文献の中に過去の特許文献が載っていることによって、その特許文献の何が新しいのか、新発明の何が優れているのかを知ることができます。技術者以外の人にとっては特許文献は馴染みがないかもしれませんが、特定の技術分野においては、特許文献は極めて重要な役割を持っており、新技術の開発に取り組む技術者にとって特許文献を読むことは必要不可欠です。その特許文献に載っている過去の特許文献を読み、さらに、その過去の特許文献に載っているもっと過去の特許文献を知ることが、技術者には求められます。技術者は、技術の系譜を知る必要があるのです。

 

 

このように、特許文献においても、技術の系譜が「過去の特許文献」として掲載されている事実は、とても示唆的です。

技術の系譜である特許文献の連鎖を可視化するサービスもあります。デジタル化・ネットワーク化が進んでいけば、そのような可視化が高度に発展し、例えば、メタバース空間で技術を可視化し、過去から現在に至る技術をバーチャルに再現することもできるでしょう。それが新技術開発のツールにもなり、新しい発明を飛躍的に生み出す起爆剤になります。

例えば、新薬の発明に貢献しているタンパク質構造の可視化は、見方を変えると新発明の可視化でもあり、単一の発明の可視化に限らずに発明の連鎖としての可視化が実現できれば、そのツールは新薬の発明を飛躍的に生み出すことになるでしょう。

 

この技術の系譜の例も、漫画やアニメのパロディ作品や、楽曲のアレンジ作品のような二次創作の理想形を考える上で参考になります。

パロディ作品やアレンジ作品に、元の著作者などの情報、様々な著作権情報を付けていく。高度に発展したデジタル社会・ネットワーク社会において、発表されたパロディ作品やアレンジ作品にはその情報が(当然のこととして)付いている。メタバース空間や3D Webの中に存在する著作物に焦点を合わせると、その情報がポップアップで表示される。過去の著作物を利用して二次創作をした瞬間に、その著作物の著作権者に何らかの報酬が(瞬時に)与えられる。・・・これらはもう技術的には可能な筈です。

 

来るべき未来社会、創作者が尊ばれるデジタル社会・ネットワーク社会の創生に向けて、創作者や著作権者自らが高らかに声を上げていくことが真に必要なのです。

 

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「情報の大航海時代」と著作権(7)

前回は、オープンソースの例を示してソフトウェア開発における二次的著作物の創作の連鎖と、開発者に対して報酬を支払う仕組みの必要性について述べました。

創作の連鎖について、他の例を見てみましょう。

 

学術研究において、研究者は論文として成果を世に出します。その論文に、他人の過去の論文の一部を引用したり、引用はしなくても参考とした他人の過去の論文を「参考文献」として掲載します。具体的には、過去の論文の名称、著者名、誌名・巻・号、出版年を論文の最後に掲載します。

 

研究者が論文を読むとき、この参考文献を先に読む場合も多く、それくらい論文における参考文献は重要なものになっています。

知の最先端である論文は、過去の蓄積の上で成り立っているので、過去から現在に至る先人の知の系譜を参考文献として掲載することが慣例になっているのです。研究者は、先人の研究者(著作者)をリスペクトしつつ二次創作を行っているとも言えます。

 

 

以前に述べた漫画やアニメのパロディ作品や、楽曲のアレンジ作品も二次創作でした。パロディ作品を創ったり、アレンジ作品を創る人たちは、元の漫画、アニメ、楽曲をリスペクトしないのでしょうか。

決してそうではないと思われます。先人の著作物をリスペクトしつつ二次創作を行なっている筈です。そして、自分が創作したパロディ作品やアレンジ作品を、更に他の人が改変・発展することも許す筈です。

では、何故、パロディ作品やアレンジ作品には、元の著作者などの情報、すなわち、著作権に関する情報がないのでしょうか。

 

慣例になっていないから、そもそも著作権に関する情報が不明だから、その情報を示すことの本当の意義を共有できていないから、・・・これらは今まで述べてきた状況ですね。

この状況は悲しいことです。今はデジタル化・ネットワーク化が高度に進んでいます。これから益々進んでいくでしょう。それなのに、最も肝心な著作権の情報が重要視されていないのです。

著作権情報がないことによって、情報の大航海時代の不法地帯で、海賊たちが暗躍している。善意な創作者、すなわち元の著作者をリスペクトして二次創作を行う創作者が、そして、何らかの経済的報酬を払ってもよいと考えている創作者が、図らずもこの不法地帯をさまよっている・・・

 

今後のデジタル社会・ネットワーク社会においては、こうした状況を改善していかなければいけません。

次回もこの問題について考えていきましょう。

 

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「情報の大航海時代」と著作権(6)

前回は、二次的著作物の創作に当たって創作者自身が著作権に関する知識を身に付けて環境改善を図るべきという話をしました。

実際にそのような環境改善が提起された有名な例としては、ソフトウェア開発の分野におけるオープンソースの推進が挙げられます。

 

オープンソースは、ソフトウェア開発者がプログラムのソースコードを公開して、ソフトウェアの改変や向上を他者に促し、更には改変されたソースコードを同じように公開することを他者に求めることによって、多人数参加によるソフトウェアの開発と普及を図る取り組みです。既に20年以上の歴史があり、ソフトウェア開発に詳しくない方でもオープンソースの言葉自体は聞いたことがあると思います。

 

このオープンソースで重要なのは、開発者(著作者)がプログラムの著作権を放棄するのではなく、著作権を前提としてプログラムを利用する他者に著作者の表示を課したり、他者に対して「改変したプログラム(二次的著作物)」の公開条件を指定している場合があるということです。すなわち、著作者の氏名表示権を尊重し、二次的著作物の利用の仕方(ライセンス方式)について取り決めている点で、著作権に基づいたルールであると言えます。

 

このオープンソースでは、他者が「改変したプログラム(二次的著作物)」を商用目的で利用することができる場合がありますが、その際に、元の開発者に何らかの経済的報酬が与えられるかについては特に定まっていません。元の開発者も、自分が開発したプログラムの動作については何ら保証していないので(プログラムが悪影響をもたらすこともあり得る)、他者に経済的報酬を求めてはいない仕組みになっていますが、仮に他者が二次的著作物で大儲けをしたときに、元の開発者に何の報酬もないというのはやや不自然のようにも思えます。

 

 

ソフトウェア開発はスピードと機能向上が命であり、多人数参加によってそれを実現することが第一目標であるとしても、二次的著作物の利用によって生じる利益の一部を元の開発者へ還元する仕組みの構築や、元の開発者→二次的著作物の開発者→二次的著作物を更に改変した開発者→・・・という無限連鎖を好循環のループで回していく方法を考えていくことが必要です。

優秀なソフトウェア開発者や、優れた発想でソフトウェアやサービスを生み出す創作者を尊び、然るべき報酬によって支えていく仕組み作りが、これから益々発達していくデジタル社会・ネットワーク社会では求められる筈です。

 

理想的には、ソフトウェアやサービスによって恩恵を受けるエンドユーザーが、受益者として直接的にソフトウェアやサービスの開発者に対して報酬を支払う仕組みが望まれます。

物(製品)が流通の主役であった時代から、ソフトウェアやサービスが流通の主役になる時代がいよいよ本格化します。特に、メタバースや3D Webの時代になると、我々は仮想空間の中でソフトウェアで生成されたモノを使用したり消費したりします。そのときに支払う代金は、プラットホーム運営会社に対してではなく、ソフトウェアやサービスの開発者に対してであるべきです。

 

そのような理想社会の実現に向けて、ソフトウェアやサービスの開発者自身が声を上げていくことが重要です。

次回もこの問題について更に考えていきましょう。

 

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